昭和40年11月29日 夜の御理解



 こちらの信心に間違えさえなかったら神様の働きと云うものは間違いなく進められ、いわゆる神様の働きと云うのは偉大なもんだなあと云う、云う様なおかげが頂け、そういうおかげを現していくと云うことが神様への御礼である。神様のおかげを頂けばこう云う様なことがでけるのだと、例えばそれを信の薄い人、信心の無い人にそれを見せ、それを伝えと云うことが神様への御威力御偉功と云うものを現すのである。
 私は今晩大変なお叱りを頂いて、も本当に本当かと思う様なことを只今御祈念中に。それを私今日総代会があっとります、重大総代会と見出しとりますが資金関係のことなんですね。それに例えて云うならば御造営がああして私も本当に何ヵ月振りかでしょうか、初めて今日庭の事がございましたから参りましたが、なかなかどうして素人が見て成程立派に堂々と出けとります。
専門の人が見てからするならここにミスがあったりあるのですけど、私共素人だから全然分かりません。本当にもうそれは東方あたりから見るならこれはたいしたことじゃあるなあとやっぱ思います。久富先生あすこで話したことですけれどもね。そういう事が為されておると云うことなんかでもとてもとても人間業なことじゃないですね。もうそれこそ溶接が上の方でやっとりますが。
 それこそもう花火を見るようにもうお広前いっぱいパアーッと火花を散らしてその鉄骨かなんかあってるんですが、その勢いと云うものは本当に神様の働きでなくて何であろうかとこう思いますですね。ですから例えば、お広前の方が住宅が云うならば信心の稽古をするのには何の差し支えもないのですね、これだけが出ければ。ですから塀とか石垣とか造園、庭とかと云うのは後の後でよかりそうにあるんですね。
 私そのことをふっと思うたんですね。この頃からカラー鉄板でするのを銅板葺にするのと二百五十万違うです。ところが神様が銅板葺をせよと仰る。造園の方もかかれ、石垣の方もかかれと。石垣が二百五十万かかります。あの石垣が三方にするだけで二百五十万かかります。それで丁度五百万、それから庭が百五十万ですか百万ですか予定。あれはとにかく百万か百五十万入れてあるですから。
 それで六百五十万、それに塀がこれは何百万かかかりますのでしょうね。見事な計画通りの、いわゆる五千万円一千万円と云うのはですね、もうそれを後からでよいと云うことになるのです。だから私はもうとにかく信心の稽古をさして頂くのにお広前が出ければ大丈夫と、途端に私の息が止まったんですから。どんなに吸おうと思うても吸われんのですから。そしてもう本当に生汗の出る様な思いをしました。
 そしたらこの人差指がですね、私の考えでここまで上がった様な気がしました。此処で御祈念しよる時にですね、これが裂けるごと痛いです、これが。そしてこれが上がったり下がったりするんですね。私はこう云う様なことは初めてでした。それで御無礼がでけたと思うて、私一生懸命御祈念さして頂きよりましたら、このこれでお知らせ下さるですたい。人、私がもと初めの間手みくじの時代があったんです。
 十五年くらい前は、いわゆる今私は記憶さえないんですけども、たとえば病人がこれは一ヶ月で治るといった様な時には、例えば高々指がですね、パアーッと左右に動くんですよ。こうやってお話しよって応接台の上でこの指の一本一本に神様がお知らせ下さる時期があった。私その事はもう忘れてしまいましたんです。大体はこまごましいことはこの指のお知らせを頂いたりこういう事だと云った様なことだったんです。
 ところが今晩初めてこの人差指がですね、本当に裂けてこの辺まで上がっとる様な感じでした。こうなんですね。合掌しておる御祈念のこれがそしてこれが上がったり、ハアー人差指そしたら御理解にですね、人を救う人を助けると云うことぞと仰る神様は。その人を救う人を助けるそういう神様の働きがです、あの合楽の御造営にあっておるのにです、神の働きを疑うかと神様が仰る。お前の信心不足修行不足だと、ね。
 これを合わすのがいわばお前の云うならば務めじゃないか、役目じゃないかと、それだけの働き、例えば神様が一千万円下さるなら、下さろうと余分しておられる。それを頂きますと云う気になることがお前の役目じゃない、それを後からしようなんて云うのはその思いが神様の気感に叶わなかったんですね。お互いがです、本当におかげ頂かないと云うことは大変な御無礼ですね。
 四神様がこのことを不浄が、この神様は不浄が一番お嫌いなさると仰るです。どういう不浄かと云うと、不浄とは成就せぬことだと仰るです。本当にお互いがおかげば頂ききっとらんてんなんてん、てれっとしたっちゃでけんですばい。本当に神様のほうにですね、間違いの無い信心に本気で打ち向かうことです。どげなおかげでん確かに受けられる神様です。受けられんなら、だから不浄です。
 例えばその神様が下さろうとしてのとを私共が大変じゃからこれは後回しにしようなんて云う様なことはもう不浄です。これをどうでもこうでも頂き抜かにゃならん。為には私が修行致しますから力を受けますからと云う様な勢いをもってこの事に当たらなければいけんではないかと云う御理解でした。すさまじいことですね。それでもそれをね、ハアーおかげ頂ききらじゃったというごたる、あれはもう不浄です。
そげなこつなか、神様おかげ下さらなんだったりおかげ下さるだけれども、こちらが間違っとるから下さらんのです。それがどう云う様なおかげであ っても、それが勿論信心が百の力があるなら百のこと、千の力がでければ千のこと、ところが現在私共がです、まあ云うならば三百か五百くらいなら頂ききろうけどとても千も頂けんと云うような自信がない、本当云うと私共には。
 けれども今度の場合御造営の場合、神様が先頭に立って何か知らんけれども、いきり立っておられると云うのですから、こちらぼちぼちついて行ってるんですから、とても家の椛目のそれにはちょっと無理じゃなかろうかと、こうちょっと不安を感じるですから、これは後回しにしたっちゃよかたい、一千万から違うからとこう云う風に思うた。途端に只今申します様なお知らせでしたですよ。
 私共がね、おかげを受けないことは絶対ないのだけれど、こちらの信不足だと云うことです。云うなら信心不足であり修行不足である。本当におかげを受けられないと云うことは神様に対するところの御無礼である。この神様は不浄が一番嫌いなさる。赤不浄とか黒不浄じゃなか、この不浄は神様の不浄は、氏子が願うておかげを受け切らんと成就しないと云う、その不成のことが神への無礼と四神様が仰っとられる。してみると、おかげを受けきらんことは無礼ですね。御無礼になるのです。
 私本当にいよいよ神様の願いのそのことがです、成就しなければならん。為にこれは一修行でもさして貰わにゃならんなと云うような気がいよいよ今晩さして頂いたんですけどね。弱気になると云うことだけでも神様からそんなお叱りを頂くのですからね。神様が下さろう、神様がこの事を成就なさろうと自分がなさっておられると云う氏子の信不足が邪魔をすると云った様なことになってはいよいよもって神様に対して相済まんことになりますですね。
   どうぞ。